入院生活3日目(その2)

その1からの続きです。

おふくろの、お金についての考え方が厳しいという話をしました。

ちょっと話が脱線するかもしれませんが、どうかお付き合いください。

 

時は流れ、学校を出て就職中に、親父と出会って結婚に至ったわけですが、どうして親父も見る目がなかったというか、この人を選んでしまったんだと。

 

子は親を選べない。
同様に、親も子を選べない。

 

今さら文句をたれても仕方がありませんが、当時の親父に言ってやりたいです。

 

もう一度この人でいいのか考え直せ

と。

 

ずらずらと書いてきましたが、勘の良い方はお気づきになられているかもしれませんが、私は1983年生まれです。

 

まぁ、物心ついた時にはバブル経済も終わりに近づいていて、不景気の足音が聞こえて来ていた時代でもあります。

私も小学生になり、毎日ランドセルを背負って通学していたわけですが、小学校3年時と4年時の担任の先生が最悪でした。

 

もう時効だと思いますので、書いてしまってもいいでしょうか、いいですよね、あなたですよ、E先生。

この先生は本当にトラウマレベルでした。

 

例を挙げるとキリがないのですが、

・プールの授業の時、着替えを机の上に乗せたままにすると、すべて取り上げられる。

返してもらう時は、先生の前に行き、「もう2度といたしませんので、返してください。お願いいたします。」と言わなければならない。

・給食を残すことは厳禁とし、アレルギーがあっても強制的に食べさせる。

時間内に食べ切れなかった場合は、5時間目、もしくは掃除の時間まで延々と続く。

・当時は帰りの会と呼ばれていた、下校間際のクラスの集会で、問題行動を起こした生徒を集中攻撃する。

 

まぁ、いろいろありました。

この時代に人格形成が歪められたと言っても過言ではないと思います。

 

話がずいぶん脱線しました。

次はこの歪められた人格と毒親の関係について書いていきたいと思います。